YORI *未知 ダイアログ ~Viva La Unica~

 まずは、点から・・・。 日々の戯言、詩、旅行記、フォトギャラリー。

#71【詩】Voice

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抜け出しなさい

普遍や常識という

鬱屈した森の中から

 

問いつづけなさい

答えが出たら

終わってしまうから

 

拾い集めなさい

自分に残された

小さな奇跡の種を

 

奏でなさい

貴方の人生が運ぶ

唯一無二の音色を

 

 

Photo@Zushi beach(逗子市・逗子海岸)

 

 

 

#70【哲学4】最後の意地

 

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本日で7年間にわたる天王星牡羊座時代が終わる。

そして本日は牡牛座新月でもある。

(変わり目にあるからか、今非常にセンシティブで気持ちが高ぶっている。)

 

牡羊座らしく、新しいチャレンジや価値観が生み出され、

自分自身の基盤を作り上げることとなった7年間。

皆さんにとってはどんな7年間だったろうか?

 

私はというと7年前、燻っていた。

ちょうど大学の休学期間が明けて、卒論に取り掛かっていた。

落ちこぼれた私は、担当教授の配慮により簡単なテーマにしてもらった。

とにかく卒業することだけを目指していた。

就職なんてもってのほかだった。

 

落ちこぼれる前、私は大学院に進んで

なんとなく研究者になるだろうとほんわり思っていた。

 

でも人生のシナリオは違った。

後にも先にもない哀しみである、最愛の母が旅立つという出来事が起き、

何もかも失ったような感覚で、しばらく呆然と立ち尽くし、

現実を受け入れるなんて遠すぎる未来の話だと思っていた。

 

それでも、私には最後の意地があった。

私は私を諦めたくなかった。

大学を休学して、今までやったことのないことに挑戦し、

行ったことのない海外や県外に行き、

そのお陰でたくさんの出会いと経験が私の価値観を再形成した。

 

『人生って捨てたもんじゃない』

 

生きていると、当たり前のように

良いことも悪いこともあって、

それは本当に晴れと雨の天気のようなもので、

たとえ何があっても空がそこにあるように、

春になると桜が咲くように、

全てが自然の流れなのだと思ったら、

どんな出来事も生きているからこそ味わえるんだなと、

そこに良いも悪いも幸せも不幸もないなと思えた。

 

そしてなんとか卒業した、いや、卒業させてもらった私は

裸一貫で次の人生の旅路に進んだ。

 

ずっと何もできないと思っていた私。

でも、だからこそ新鮮な気持ちで新しいことを吸収できたんだろう。

特に海外生活は私の大きな基盤を作ってくれたし、

本来の私らしさを引き出してくれた。

(海外で生きる方が自然体でいられたのだ。)

 

レール=いわゆる普通の生き方から外れることはもちろん不安だった。

だけど、寄り道して冒険したからこそ、

私は人一倍多くの価値観に触れられて、

人生をカラフルに彩ることができた。

そして、いつの間にか自分を少しずつ好きになっていた。

 

以前はずっと長いこと自分を許せていなかった。

無力でちっぽけで親孝行もできなかった私を、

ある時期はひたすら責めた。

それは自分の心を抉るように、何度も。

当時は自分を責めることが償いだ、と勘違いしていた。

 

今ならはっきりわかる。

私らしく生きることが

最大の償いであり、親孝行だと。

 

だから、どうか見ていてほしい。

いつまで続くかわからないけれど、

私は私の人生の旅路を生き、

貴方が遺した足跡の続きを繋いでいくから、

どうか、そこから見ていて。

 

 

天を仰ぐたびに、誓おう。

 

最後の意地がある限り 、挑もう。

 

 

今日も空は青い。

 

 

Photo@五島列島、長崎(Goto islands, Nagasaki)

 

 

#69【哲学3】毎日がPEAK/生きる純度

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大好きな占い師しいたけさんのBlogで、

「ピークを作らない重要さ」の記事が妙にしっくりきた。

 

ameblo.jp

 

日々生きていると

何かに向かっているような、

大きな目標とか目的地を

目指しているような感覚で、

「いずれ、何か・どこかにたどり着く」という期待が

少なからず誰にでもあるのではなかろうか。

 

そして辿り着けた時の達成感や

立派で誇らしい自分みたいなものを

味わうことを夢見たりしている。

(だから山登りっていつの時代も流行る気がする・・)

 

でも、その期待は幻想とも言える。

本当に辿り着けるのか、

それを実現できるのかなんて、

私たちは誰一人だってわかりゃしない。

 

そもそも、

明日死ぬかもしれないんだ

 

実現していない自分

辿り着いていない自分

未完成な自分に

焦りや劣等感を感じていないか?

 

そんなもの捨てちまえ。

 

そもそも、

明日死ぬかもしれないんだ

 

人生のどこを切り取っても

命を全うしている自分でいられるように、

日々に、一瞬一瞬に、命を燃やそう。

 

叶えること、達成すること、

輝くこと、成長すること、

そういう、いかにも立派なことばかりが

真の目的ではない。

 

与えられた一瞬一瞬の鼓動を感じ、

あちこちに散りばめられた幸いを享受し、

与えられないことの恵みを理解し、

生きることを謳歌するんだ。

 

そしたら、

「毎日がPEAK」になる。

 

いつ何が起きても悔いのないように

1日1日、生きることの純度を高める。

 

自分が納得していない選択はしない。

モヤモヤしたまま生きない。

失敗したら改善する。

過去にこだわらない。

ダメな自分すらも受け入れる。

今日一日を感謝で締めくくる。

 

軽やかに、

だけど胸を焦がして、

命の営みを感じて生きたいものだ。

 

 

 

Photo@ 逗子海岸映画祭(Zushi beach film festival) 

 

 

 

 

 

#68 【雑記】月と木星/Beyond Imagination/粋

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**月と木星**

昨日はウエサク満月と木星のコンビが

くっついて空を彩っていた。

私にとってはご機嫌な配置である。

 

西洋占星術的に私のホロスコープでは

月と木星が【自己表現】の部屋にいる。

 

これは生涯を通して、自分の内側に

あふれるものを表現していく役割を示す。

 

私から自己表現をとったら

生きる意味がない・・

というくらい大事なもの。

 

私から生まれるさまざまな表現が

誰かの心に届くように。

今日も全身全霊で生きる。

 

**Beyond Imagination**

先日、KOKIAの20周年コンサートに行ってきた。

公演テーマ「Beyond Imagination」。

 

彼女のコンサートはもう7、8回目。

20周年というだけあって、

これまでの歴史を振り返るような、

ほとんどノンストップで

全身全霊で歌い上げていた。

 

終始涙が止まらなかった。

ファンになって10年。

いつだってKOKIAの歌がそばにいた。

 

特に悲しみのどん底にいた時、

彼女の歌声、音楽、歌詞が私の心を救った。

 

また、KOKIA自身に辛い出来事が降りかかった時、

他人事とは思えないほど私の心を痛みがえぐった。

そして彼女が幸せになった時、心から嬉しかった。

 

こんなにも人生に寄り添える

アーティストっているだろうか。

 

あらゆる経験を乗り越えた

20周年目の記念ステージ、

彼女の歌声は何重にも彩られ、輝き、

類い稀なる響きで会場を圧倒し、

感動のベールで包み込んでいた。

 

まさに、Beyond Imagination。

 

**粋**

生きていると想像もしないようなことが

たくさん起きる。

時に投げ出したくなる時もある。

 

でも、今なら堂々と言える。

自分自身をあきらめない限り、

生きているその先、

想像を遥かに超えた景色が待っている、って。

大丈夫、全てちゃんと繋がっているから、って。

 

私はあきらめなかった。

いや、あきらめたくなかった。

 

きっと見たこともない景色が

まだあるだろうって

望みを捨てずに自分を信じ続けたから。

 

だから今、生きることの「粋」を味わえている。

そう来たか!と意外な形で人生は運ばれる。

面白いなって思える。

 

何が起こっても、

それは乗り越えられようになっている。

何が起こっても、そこから得た経験は

自分に必要なパーツとなっていく。

 

なんて、「粋」だろう、人生って。

 

 

Photo@逗子(Zushi) 

#67【雑記】ときどきYesマン

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昔(=社会に出る前)は今よりもっと我が強く、

人の話を聞かなかった。

不思議なくらいに自己完結してしまっていた。

 

ところが社会にて出てみると、

十人十色の考えがあることに気づいた。

受け入れ難い思想や価値観がたくさんある。

 

でも、それは自分が見えていない面を

照らしてくれる光であることに気づいた。

それは直球で来るときもあれば、

時には反面教師のような変化球で。

 

昨日、常々反りが合わないと思っている人から

今の自分にアドバイスしていただける機会があった。

最初は私自身あまり乗り気ではなかったのだが、

たまには人の話も聞いてみようと最近決めているので、

とりあえず・・という形で話を聞いてみると、

それが意外なくらいに今の自分に響いたのだ。

 

いわば、見えていない自分が見えた。

それは人との出会いによってしか得られないものだ。

特に反りが合わないとか、

自分にない価値観を持っている人ほど

大きな発見をもたらしてくれる。

 

だから、ときどきYesマンもいいもんだあ、と思った。

 

人を介して与えてもらうものって

無限にあるような気がした。

 

 

#66 【雑記】はじまりの日/満足感というより充足感

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▽一年のはじまりの日▽

本日は春分

西洋占星術をやっている者にとってはとても大事な日。

宇宙元旦と言われていて、

太陽が牡羊座に入宮する今日が新のスタートである。

いつも以上に掃除や整理整頓に気合を入れてみた。

 

春が近づいていた日々から一転、

春分の今日は雪が降っている!!

寒くて嫌だな〜・・と思ったが、

外を歩いてみると空気感がいつになく神聖。

鳴呼、これは浄化の雪だな、と思った。

 

今年は今まで以上に、二極化が進むだろう。

自分を生きる者と、そうでない者。

自分を生きる者にとっては、絶好のチャンスの年であり、

そうでない者にとっては厳しい年になる。

どう厳しいかというと、自分軸が定まっていないと

容赦なく外界の出来事に翻弄されるということである。

 

何が起こっても揺ぎない自分の意志があれば、

周りなど関係なくて、

結局は自分次第ということになる。

どこまで自分を信じられるか?

宇宙は様々な出来事を通して私たちの真意を試すだろう。

 

今年はリニューアルした自分として

新たな一年の幕開けを迎えられることに

感謝である。

 

 

▽満足感というより充足感▽

ベルトコンベアー式に生きること、

いわゆる会社員生活から脱却して

1ヶ月以上が経過。

 

最初は手持ち無沙汰な感じになれず、

なんとも言えない焦燥感に

飲み込まれそうになったり。

 

一方、今までできなかったことを

一つ一つできていることが嬉しくもある。

 

料理や身の回りの整理、庭を眺めること、

海を散歩すること、好きな道を歩くこと、

日記を書くこと、遠回りしたり寄り道をすること。

 

今までのベルトコンベアーライフでは

優先順位が低く後回しにしていたこと。

なんてことない日々の暮らしに手をかけ、

ゆっくり時間を注ぐことで、

心がほぐされていくのを感じる。

 

これまで買い物や外食・遊びや旅行、

いわゆる外のものを得ることで

一時的に自分を満たすことはできていたけれど、

内側からじんわりと自分を潤すことは

できていなかったのだと思う。

この内側を潤す感覚は満足感というより、

充足感という言葉がしっくり来る。

 

いかにこれまで、

外界のあらゆることに刺激され、

誰に言われるでもない透明な圧力に疲弊し、

大切なものを置いてきぼりにしてきたのだろう。

 

全てをリセットした今、

将来の安定とかそんなもの

どうでもよくなるぐらいに、

充足感によって「生きる」ことを

じっくり味わえていると思う。

 

何かを得ようとすることから、

すでにあるものに目を向ける生き方。

今のまま・ありのままを堪能する生き方。

 

先のことはなんも見えていないし

目処も立っていないけど、

格段に今の方が何倍も幸せである。

 

生きることに手を抜かない、

命を全うする者でありたい。

 

#65【詩】 愛の詩 -4. winter- (完結編)

※4部作シリーズの4作目です。

  明日が春分ということで、滑り込みで作成しました。

続きがありそうな展開ですが、一応完結ということで。

https://www.instagram.com/p/BdtGLWVBu-P/

届くとか届かないとか

叶うとか叶わないとか

目先のことに囚われていた

愚かで鈍い思考よ

 

時が経っても貫いてきた

確かなソレを見くびるなかれ

 

どこまでも深く、だけど儚い

脆さと隣り合わせのソレは

行き場を失って

ただただ、波に揺蕩っている

 

焦がれた日々とともに

深海の奥に閉じ込めようとするも

噴出するソレは

もう誰にも止められない

 

たとえ弾け飛んで

全てが粉々になったとしても、

確かな記憶を支えに

新たな一歩を踏み出そう

 

描けない未来に溜息つくよりも

今この瞬間のリアルな鼓動を

何よりも大事にしたいから

 

だから今、捧げよう

 

少なくとも記憶の中の

君は笑っていてくれ

もうそれだけで、十分だから

 

振り返らなくていい

思い出さなくていい

受け止めなくていい

無に還してくれていい

 

愛しさを風に飛ばし

知らない道をなぞって

空虚につぶやく

 

きっと晴れるから

きっと咲くから

 

今は願いも祈りもなくていい

束の間の余韻だけを・・・

 

そこに息づく命

寄せては返す言葉

荒ぶるソレ

 

 

空白さえも

物語る

 

真っ白な世界に

色を添えてくれた君へ

 

万感のソレを捧げよう

 

少なくとも記憶の中の

君は笑っていてくれ

もうそれだけで、十分なんだ

 

 

#64【哲学2】生きる精度

 

 

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恥ずかしながら、生き方をあらためている。

これまでは若かったこともあり、自分を満たすための生き方であった。

 

それも確かに必要なフェーズであったと思う。

 

なぜなら自分を満たしてきたことで、

自分の喜びどころや、自分らしさを見つけたからだ。

 

これからは、唯一無二の存在である自分を通して、

「生きる」ということに100%コミットしていく。

 

特に私の場合、家系的に短命のため、

すでに人生の折り返し地点にいると思っている。

 

最近は毎朝目を覚ますたびに、

今日も寿命を頂いたな、と感謝で一日が始まる。

 

死生観というのだろうか。

いつ死んでもいいように残りの人生を感謝で散りばめたい。

 

いつ何が起きるかわからないからこそ、

先のことを案じるよりも

今足りないものにため息をつくよりも、

今を生きられる喜びを、今この瞬間の命を、

全力で味わいつくそうじゃないか。

 

どんなルーティンライフだろうと、

一瞬として同じ時間はないのだから。

・ 

ある朝、軽く臨死体験のようなものをした。

そのとき、「生きる精度」という言葉が突如舞い降りてきた。

 

それは立派なことをするとかではなく、

日々の1つ1つを丁寧に、心を込めて、

一日一生の精神で、瞬間瞬間に、

自分の命を吹き込むことであると思う。

 

そして、全ての瞬間をYesにするんだ。

失敗も哀しみも悔しさも、

この人生で得られるGiftだと思えたら、

いかに私達は多くの恵みを頂いているかということに

気づけるのではないだろうか?

 

思い通りにならない人生にYesを。

至らない発展途上な自分にYesを。

 

命が震える感覚を取り戻すんだ。

自分らしく生きて世界を揺さぶるんだ。

 

誰もが人生のど真ん中にいる。

 

 

Photo@頭ヶ島天主堂,五島列島,長崎(Goto island, Nagasaki)

#63【哲学1 】真の自由へ

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しばらく言葉が降りて来ず、悶々としていた。

いや、言葉にすると陳腐になるから、

納得できるまで紡げずにいた、の方が正しいだろうか。

 

昨年末に土星やぎ座時代に突入したからだろうか。

いつもの感覚的・直感的な思想に加えて、

現実的な感覚も自ずと沸いてくるのだ。

だから、これまでのようなインスピレーションや

イマジネーションに満ちた文章が

書きにくくなっていて、少々戸惑っている。

それでも詩を紡ぎたくなるときは

また巡ってくるだろう(と信じる)。

 

でも、良い兆候かもしれない。

ロマンや夢を実現させるためには、

耳障りの良い表面的な言葉を並べるだけでは足りないのだ。

いかに、現実でそれらを実践させるかが最も重要なのだ。

だから、稚拙ながら私なりの哲学と理論を以て、

少し堅い文章に書きおこしていくのも

誰かの役に立つかもしれないと思うのだ。

 

というわけで、前置きが長くなった。

これからは【Philosophy】のカテゴリでも、

私なりの思想哲学を語っていく。

 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

Philosophy1:真の自由へ

 

年明けから多忙を極めていたが、

ようやく一区切りがついた。

仕事を辞め、1つの時代が終わりを告げた。

やっと、やっとだ・・・この瞬間を待ち望んでいた。

「真の自由」のフェーズへ。

 

勤めていた企業での仕事はやりがいがあり、

職場もすばらしいチームで大好きだった。

自分のやりたいことをやらせてもらえて、

本当に恵まれていたと思う。

きっとこのまま営業職を極めたら、

多くのものを手に入れていただろう。

経験、地位、ビジネススキル・・・

だが、私はそちらの道を選ばなかった。

 

なぜか?

私にとって最も大事なことは、

社会的地位や社歴を手に入れることではなく、

ひたすら「自由」の身でいることだ、と気付いたからだ。

 

「自由」の定義は様々だが、私にとっての自由とは、

「全てを自分の責任・裁量で決められること」である。

決してラクをしたいわけではなく、

働く時間も場所も環境も仕事の中身も、

全てを自分の心地よいものにしたいのだ。

 

そして、何かに属すること、縛られること、

押し付けられること、自分の意に反して無理をすること・・・

これらは私が最も苦痛に感じることなのだ。

 

私はとにかく、「自由・軽やか」な存在でいたい。

 

というわけで、やっと

いろんなものから「解放」されたのだ。

「安定」を手放した代わりに、

「全てを自分で決める自由」を手に入れたのだ。

 

だが、これからきっといろんな壁にぶちあたるだろう。

それでも、その方がいい。

なぜなら、人は自分が作った壁なら

納得して乗り越えようとするからだ。

他人から与えられた壁というのは腑に落ちなくても、

自分で自分を窮地に追い込んでしまえば、

誰にすがることもできず、

自分でどうにかするしかない、というか、

自分でどうにかすればいいだけ、

と至ってシンプルなのだ。

社会に迎合していろんなものを

犠牲にするよりも、遥かにいいと私は思う。

 

そんなわけで、これからは100%純粋に、

自分として、自分の人生を、自分で、

責任を持って推し進めていく。

そして、そこに伴うあらゆる試練を

乗り越えていく覚悟を、今日ここに誓う。

 

さあ、真の自由の幕開けだ!

 

Photo@ Hisaka Island, Nagasaki(久賀島五島列島長崎県)  

 

 

 

 

 

#62 【雑記】30

 

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気が付けば2018年です。

 

2017年はとっても濃くて、最強に充実していました。

新しい挑戦と出会いに恵まれ、自分自身もパワーアップ。

 

そして先日、無事に30歳を迎えられました。

 

30歳のこの一年はいつになく未知です。

が、今までの不安はありません。

どんな新しい景色が見られるのか、

ワクワクしかありません。

 

20代は自分を満たすことがメインでしたが、

30代は自分を社会の中でどう生かしていくか、

どこまで人の役に立てるか、

1人では描けない世界を紡ぐことがテーマです。

 

時代はますます厳しさを増していきます。

この時代に授けられた命の意味を日々考えます。

 

でも、結局は考えてもわからなくて、

ただ、託すしかないのだ、と。

自分を社会の一つのピースとして

必要なとこへ置いてもらえるように、と。

 

2018年は私にとってゼロスタートです。

今までの経験はもちろん活かしつつも、

固定された価値観に惑わされぬよう

真っ白に、新鮮な自分でいようと思います。

 

また、こちらのblogもなるべく更新していけるよう

日々表現の源を自分の中に湛えていきます。

 

2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

Photo@Tateyama, Chiba