#64【哲学2】生きる精度
恥ずかしながら、生き方をあらためている。
これまでは若かったこともあり、自分を満たすための生き方であった。
それも確かに必要なフェーズであったと思う。
なぜなら自分を満たしてきたことで、
自分の喜びどころや、自分らしさを見つけたからだ。
これからは、唯一無二の存在である自分を通して、
「生きる」ということに100%コミットしていく。
特に私の場合、家系的に短命のため、
すでに人生の折り返し地点にいると思っている。
最近は毎朝目を覚ますたびに、
今日も寿命を頂いたな、と感謝で一日が始まる。
死生観というのだろうか。
いつ死んでもいいように残りの人生を感謝で散りばめたい。
いつ何が起きるかわからないからこそ、
先のことを案じるよりも
今足りないものにため息をつくよりも、
今を生きられる喜びを、今この瞬間の命を、
全力で味わいつくそうじゃないか。
どんなルーティンライフだろうと、
一瞬として同じ時間はないのだから。
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ある朝、軽く臨死体験のようなものをした。
そのとき、「生きる精度」という言葉が突如舞い降りてきた。
それは立派なことをするとかではなく、
日々の1つ1つを丁寧に、心を込めて、
一日一生の精神で、瞬間瞬間に、
自分の命を吹き込むことであると思う。
そして、全ての瞬間をYesにするんだ。
失敗も哀しみも悔しさも、
この人生で得られるGiftだと思えたら、
いかに私達は多くの恵みを頂いているかということに
気づけるのではないだろうか?
思い通りにならない人生にYesを。
至らない発展途上な自分にYesを。
命が震える感覚を取り戻すんだ。
自分らしく生きて世界を揺さぶるんだ。
誰もが人生のど真ん中にいる。